さて、前回からの続きで三国志の時代の「丞相」についてだが、丞相は宰相というだけあって独自の官庁を持ち、多数の部下を抱えていた。
その官庁は「丞相府」と呼ばれており、部下としては「長史」「主簿」「掾」「属」「令史」などがあった。
中でも「長史」(丞相長史)というのは丞相府内における次官のような存在で、かなり格の高い人物が就任している。
丞相本人が不在の時に府内を切り盛りしたり、丞相の代理のような存在であったと思われる。
それ以下の「丞相主簿」「丞相掾」「丞相属」「丞相令史」については、府のいくつかの部局(当時「曹」と呼ばれていた)ごとに配置され、それぞれ担当の職務に当たっていたようだ。
陳寿の『三国志』(いわゆる「正史」)を見ていると、列伝が立てられている人物たちの多くがこれらの職に就いていたことがわかると思う。
それはつまり曹操や諸葛亮の下で働いていた、ということなのである。
またそのほかにも「軍祭酒」「軍師」などといった職名も確認されており、軍事部門もあったらしい曹操の丞相府において参謀や軍事顧問的な立場であったと考えられる。
更に、軍事顧問的なものでも「参丞相軍事」という別の職もあった。
これは丞相府には所属せず、他の官職を持ったままで一時的に丞相の軍の事柄に参与するという「出向」の扱いであったらしい。
丞相の部下や参与としては以上のような官職があった。
実は他にも「丞相司直」という地味ながらエグイ官もあるのだが、たぶんいずれ別に紹介すると思う。
先に知りたい、という人は過去の記事を参照。
今回は実例を引いていないが、『三国志』の列伝を見ると丞相府で働いていた人物がかなり多いのがわかるだろう。
この時代の丞相がかなり重要な官職であった(就任していた人物が重要だったとも言えるが)ことがわかるのではないかと思う。