郡公を固辞

武帝受禪、以佐命之勳、進號中軍將軍、加散騎常侍、改封郡公、邑三千戸。固讓封不受、乃進本爵為侯、置郎中令、備九官之職、加夫人印綬。
(『晋書』巻三十四、羊祜伝)

晋の羊祜は魏末の段階で鉅平子の爵位を貰っていたが、司馬炎が皇帝になった時に郡公を貰うことを固辞した。



そこで、同じ鉅平を領土とするのは変わらないが爵位を「侯」に格上げした上、郎中令を置いて彼の領国が政府の体を成すようにし、正妻に対しては夫人の印綬を与えたのだった。





断言できないが、これは本来は郡公の格式なのではなかろうか。



羊祜が郡公を固辞するので、せめて格式は郡公と同じにするという特別待遇を与えようというのがこの時の武帝の措置だろうと思う。




晋代の五等爵の最上位ともなると、属官や夫人への扱いも変わってくるということか。