明帝の宮殿の一部

世語曰、(楊)偉字世英、馮翊人。明帝治宮室、偉諫曰「今作宮室、斬伐生民墓上松柏、毀壊碑獸石柱、辜及亡人、傷孝子心、不可以為後世之法則。
(『三国志』巻九、曹爽伝注引『世語』)

魏末の人、楊偉。



彼の明帝曹叡様への諫言によると、「今の宮殿造営は、民の墓の上の松や柏の木を伐採し、墓碑などを損壊しており、その悪は墓に眠る者にさえ及び、孝行者は心を痛めております」とある。




諫言なので話を盛っている可能性も無くはないが、墓内の棺桶や釘でさえも物資として持ち出していた時代なので、物資不足という点でも、役人の意識という点でも、墓だろうが使える物資は使ってしまう、という状態だったとしても不思議はない。




それにしても、こういう事態が実際に起こっていたとしたら、明帝様の宮殿造営は想像以上に当時の人々のヘイトを集めていたかもしれない。




墓を破壊していたということもさることながら、そうでもしないと物資を十分に調達できなかったということになるので、財政的にも無理をしていたということになりそうだから。