三国志はじめての官職:将軍その1

三国志の時代はあっちもこっちも将軍だらけだと言われるし、確かにそうだ。



いろいろいる「将軍」について詳しく知ることは、三国志のことを知る上で決して無駄ではないだろう。



同じ「将軍様」でも、一休さん将軍様と北の将軍様では全く違うのと同じように、この時代の将軍もやはり細かい違いはあるのである。



將軍、不常置。
本注曰、掌征伐背叛。比公者四。第一大將軍、次驃騎將軍、次車騎將軍、次衛將軍。又有前・後・左・右將軍。
(『続漢書』志第二十四、百官志一、将軍)

「将軍」はまず「大将軍」が最上位で、その次が「驃騎將軍」、その次が「車騎將軍」、その次が「衛将軍」という順番であったことがわかる。



「比公」というのは公と並ぶということ。つまりこれらの「将軍」は三公と同等程度だということになる。



この四将軍は「将軍」の中でも別格なのだ、と言っていいだろう。




例外も無いでもないが、大将軍や驃騎將軍*1というのはその時の軍部のトップなのだということを示していると思ってまず間違いはない。




更にそれらの将軍に次ぐのが「前将軍」「後将軍」「左将軍」「右将軍」、つまり総称すると「前後左右将軍」である*2


この点については、ある程度色々と知っている方々は「あれ?」と思うかもしれない。



この序列は前漢後漢においてのそれであって、それ以降は序列に変化が起こっているようなのである。


これについては、たぶんまた別に説明すると思う。





続く。




*1:「驍騎将軍」という将軍もあったが、驃騎將軍と字は似ていても格の点では似ても似つかない別物であることに注意。

*2:私の知る限りでは、史書上でこれらの将軍を「四方将軍」と呼んでいた形跡は無い。