中国史

シュレジンガーの皇帝

三月戊午朔、日有食之。 庚申、幸宛、帝不豫。 辛酉、令大將軍耿寶行太尉事、祠章陵園廟、告長沙・零陵太守、祠定王・節侯・鬱林府君。 乙丑、自宛還。 丁卯、幸葉、帝崩于乗輿、年三十二。 祕不敢宣、所在上食問起居如故。 庚午、還宮。 辛未夕、乃發喪。 …

射と謝

孫休字子烈、(孫)權第六子。年十三、從中書郎射慈・郎中盛沖受學。 (『三国志』巻四十八、孫休伝) 傅相謝慈等諫(孫)奮、奮殺之。 【注】 慈字孝宗、彭城人、見禮論、撰喪服圖及變除行於世。 (『三国志』巻五十九、孫奮伝) 喪服要記一卷、蜀丞相蔣琬…

トラになった私

至紂之時、理徴字徳靈、為翼隸中呉伯、以直道不容於紂、得罪而死。其妻陳國契和氏與子利貞逃難於伊侯之墟、食木子得全、遂改理為李氏。 (『新唐書』巻七十上、宗室世系表上) 昨日の記事だけど、「理氏」が「李氏」に改姓するきっかけとなった人物、「理徴…

理氏

李氏出自嬴姓。帝顓頊高陽氏生大業、大業生女華、女華生皋陶、字庭堅、為堯大理。生益、益生恩成、歴虞・夏・商、世為大理、以官命族為理氏。至紂之時、理徴字徳靈、為翼隸中呉伯、以直道不容於紂、得罪而死。其妻陳國契和氏與子利貞逃難於伊侯之墟、食木子…

成紀出身の有名人

帝王世記曰「庖犧氏生於成紀。」 (『続漢書』志第二十三、郡国志五、涼州、漢陽郡、成紀、注引『帝王世記』) あの李広・李陵や李徴(トラ)なんかの隴西(漢陽)成紀の李氏の本貫である、漢陽郡成紀県は、あの「庖犧」(伏犠)が生まれた地だとされている…

始興県

t-s.hatenablog.com 惠帝分隴西之狄道・臨洮・河關、又立洮陽・遂平・武街・始興・第五・真仇六縣、合九縣置狄道郡、屬秦州。張駿分屬涼州、又以狄道縣立武始郡。江左分梁為秦、寄居梁州、又立氐池為北秦州。 (『晋書』巻十四、地理志上、秦州) 先日の記事…

ひとこと

へえ、劉宋頃の「僑郡」に「北扶風」とか「西扶風」なんてものもあったのか。 本場「扶風」も別にあったらしい(南陽郡あたりに置かれた)ので、「北」や「西」は南陽にあった僑郡の扶風から見ての方角だったのかな・・・?

じょうじ

散騎常侍、四人。掌侍左右。秦置散騎、又置中常侍。散騎並乗輿車後。中常侍得入禁中。皆無員、並為加官。 漢東京初省散騎、而中常侍因用宦者。 魏文帝黄初初置散騎、合於中常侍、謂之散騎常侍、始以孟達補之。久次者為祭酒散騎常侍、秩比二千石。 (『宋書』…

高陸と高陵

京兆郡。漢置。統縣九、戸四萬。 長安。杜陵。霸城。藍田。高陸。萬年、故櫟陽縣。新豐。陰般。鄭、周宣王弟鄭桓公邑。 (『晋書』巻十四、地理志上、雍州、京兆郡) 晋の頃、京兆郡に「高陸」という県があった。昨日の「高陸公主」の領土はここではなかろう…

4メートル級巨人

袁宏漢紀「浮屠、佛也、西域天竺國有佛道焉。佛者、漢言覺也、將以覺悟羣生也。其教以脩善慈心為主、不殺生、專務清靜。其精者為沙門。沙門、漢言息也、蓋息意去欲而歸于無為。又以為人死精神不滅、隨復受形、生時善惡皆有報應、故貴行善修道、以鍊精神、以…

ひとこと

昨日の話だけど、董卓の遺産を見つけたけどすぐ死んだ邢巒って、その遺産の中にあった「丹砂」=硫化水銀で何かして体を害したんだったりして・・・。

董卓の遺産

寺北有永和里、漢太師董卓之宅也。里南北皆有池、卓之所造。今猶有水、冬夏不竭。 里中有太傅録尚書事長孫稚・尚書右僕射郭祚・吏部尚書邢巒・廷尉卿元洪超・衛尉卿許伯桃・涼州刺史尉成興等六宅。 皆高門華屋、齋館敞麗、楸槐蔭途、桐楊夾植、當世名為貴里…

かわいそうな獅子

獅子者波斯國胡王所獻也。為逆賊万俟醜奴所獲、留於寇中。永安末醜奴破滅、始達京師。 莊帝謂侍中李彧曰、朕聞虎見獅子必伏、可覔試之。於是詔近山郡縣捕虎以送。鞏縣・山陽並送二虎・一豹。帝在華林園觀之、於是虎・豹見獅子悉皆瞑目不敢仰視。園中素有盲熊…

ひとこと

秦は周を滅ぼしているが、その後は天子がいない時代になったとされるらしい。 古代中国において、天子は常に必ず存在するというものでもないということだ。 天子を名乗っていても本物たる資格がない紛い物しか無い時代は、古代の観念で言えば天子のいない時…

ひとこと

t-s.hatenablog.com 以前の記事で謎の「黄帝調暦」なるものを奉じていたという張寿王なる者の話をしたことがある。 この女性天子がいたり暦の長さが二倍だったりするワンダラスな暦、どっかから出土するとかして全容が分かったりしないものだろうか。 どんな…

ひとこと

t-s.hatenablog.com これ書いた後に思ったが、「系統としては黄帝の末裔」「マジカル出生秘話を持つ」という点で、殷と周と漢(劉邦の母のマジカル懐妊)は共通してるんだな。 少なくとも漢代の人々は殷や周の建国神話に劉邦のそれを被せてるんだろうなあ。

黄帝の子孫

『史記』本紀を見ると、五帝は全員が黄帝とその子孫で、夏禹も帝顓頊の子孫だから黄帝の子孫。 殷と周の先祖は、どちらも五帝の妃が超常現象的な妊娠の末に生まれた子。 結局、夏も殷も周も黄帝と血統上の繋がりがあるっていう設定なのか。 でも殷と周が微妙…

最初の禅譲

いわゆる五帝、『史記』五帝本紀によると「黄帝」「帝顓頊」「帝嚳」「帝堯」「帝舜」。 『史記』五帝本紀による限り、顓頊は黄帝の孫とされている。 帝嚳は黄帝の曽孫とされている。 堯は帝嚳の子とされている。 舜は顓頊の七代目の子孫とされている。 つま…

二国時代

西伯蓋即位五十年。其囚羑里、蓋益易之八卦為六十四卦。 詩人道西伯蓋受命之年稱王而斷虞芮之訟。 後十年而崩、謚為文王。改法度、制正朔矣。追尊古公為太王、公季為王季。蓋王瑞自太王興。 【注】 正義、二國相讓後、諸侯歸西伯者四十餘國、咸尊西伯為王。…

部下の心境

於是項王乃欲東渡烏江。烏江亭長檥船待、謂項王曰「江東雖小、地方千里、衆數十萬人、亦足王也。願大王急渡。今獨臣有船、漢軍至、無以渡。」項王笑曰「天之亡我、我何渡為!且籍與江東子弟八千人渡江而西、今無一人還、縱江東父兄憐而王我、我何面目見之?…

いくつもの曲陽

志林曰、初順帝時、琅邪宮崇詣闕上師于吉所得神書於曲陽泉水上、白素朱界、號太平青領道、凡百餘卷。 (『三国志』巻四十六、孫策伝注引『志林』) かの于吉(干吉)は、「曲陽泉水」のほとりで謎の神書を手に入れた、という。 上曲陽。故屬常山。恒山在西北…

二人の距離感

『漢書』高帝紀つまり高祖劉邦の本紀には、劉氏は元は魏の人間で、梁の方にいたのだという話がある。 一方、項羽は自分の領土として梁の地を併合したらしい。だから梁を根城とした彭越が項羽と戦っているのだ。 劉邦の故地と、項羽の本拠地(にしようとした…

近所の獄掾

平陽侯曹參者、沛人也。秦時為沛獄掾、而蕭何為主吏、居縣為豪吏矣。 (『史記』巻五十四、曹相国世家) かの曹参は沛の獄掾で、蕭何ともども「豪吏」であったそうだ。 項梁嘗有櫟陽逮、乃請蘄獄掾曹咎書抵櫟陽獄掾司馬欣、以故事得已。 (『史記』巻七、項…

地元に戻る

項羽は「下相の人」とされているが、この下相というのはどうやら秦においては泗水郡にあった県らしい。 で、劉邦のいた沛というのも秦の泗水郡にあった。 ちなみにあの垓下も泗水郡にあったらしい。ついでに言うと劉邦が大敗した彭城もそうだったようだ。 つ…

夏侯陽

夏侯陽算經二卷。 (『隋書』巻三十四、経籍志三、子、暦数) 夏侯陽なる人物が著した算術の書があったそうだ。 時又有算學。大觀三年、禮部・太常寺請以文宣王為先師、兗・鄒・荊三國公*1配享、十哲從祀、自昔著名算數者畫像両廡、請加賜五等爵、隨所封以定…

有有白書

有若、少孔子四十三歲。 【注】 索隠、家語云「魯人、字子有、少孔子三十三歳。」今此傳云「四十二歳」、不知傳誤、又所見不同也? 正義、家語云「魯人、字有、少孔子三十三歳」、不同。 (『史記』巻六十七、孔子弟子列伝) 孔子こと孔丘先生の弟子のひとり…

弟子の名前

端沐賜だの言偃だの顓孫師だの澹臺滅明だの巫馬施だの公夏首だの奚容箴だの公肩定だの縣成だのと、『史記』孔子弟子列伝に記される孔丘先生の弟子たちの名前はどこで切るのか分からなかったりほかに聞いたことのない感じの氏だったり、なんか異質な感じがし…

南越の下地

(始皇)三十三年、發諸嘗逋亡人・贅壻・賈人略取陸梁地、為桂林・象郡・南海、以適遣戍。西北斥逐匈奴。自榆中並河以東、屬之陰山、以為四十四縣、城河上為塞。又使蒙恬渡河取高闕・陽山・北假中、築亭障以逐戎人。徙謫、實之初縣。禁不得祠。明星出西方。 …

大英帝国リスペクト

詔曰「故衡山王呉芮與子二人・兄子一人、從百粵之兵、以佐諸侯、誅暴秦、有大功、諸侯立以為王。項羽侵奪之地、謂之番君。其以長沙・豫章・象郡・桂林・南海立番君芮為長沙王。」 (『漢書』巻一下、高帝紀下、高祖五年) 秦已破滅、(趙)佗即撃并桂林・象…

ちょっと思ったこと

「字(あざな)」は「名」と連続して呼ばない、と言われている。 まあ例えばWikipedia先生とか。 自分もまあそうだろうとは思ってる。 しかし、例えば後漢末当時において「字と名は続けて呼んだりしない」といったことを明確に記している典拠というのはある…