董卓の遺産

寺北有永和里、漢太師董卓之宅也。里南北皆有池、卓之所造。今猶有水、冬夏不竭。
里中有太傅録尚書事長孫稚・尚書右僕射郭祚・吏部尚書邢巒・廷尉卿元洪超・衛尉卿許伯桃・涼州刺史尉成興等六宅。
皆高門華屋、齋館敞麗、楸槐蔭途、桐楊夾植、當世名為貴里。
掘此地者輙得金玉寳玩之物。
邢巒家常掘丹砂及錢數十萬、銘云董太師之物。後卓夜中隨巒索此物、鸞不與之、經年巒遂卒矣。
(『洛陽伽藍紀』城内、修梵寺)


『洛陽伽藍紀』によると、北魏の洛陽にはかつて董卓の邸宅だった一等地があった。


当時の吏部尚書邢巒はそこで丹砂と数十万銭を発掘したが、それには「董太師之物」という銘が書かれていたそうな。



そうしたところ、邢巒の元に董卓が現れて発掘した宝物を返せと言ってきたが返さなかった。その邢巒は翌年死んでしまったとのこと。呪いか。



董卓が化けて出たという話。




董卓が太師になった時期は既に長安に遷都しているので、洛陽の邸宅で「太師」という銘を使うだろうか・・・という疑問は野暮というヤツだろうか。