始興県

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惠帝分隴西之狄道・臨洮・河關、又立洮陽・遂平・武街・始興・第五・真仇六縣、合九縣置狄道郡、屬秦州。張駿分屬涼州、又以狄道縣立武始郡。江左分梁為秦、寄居梁州、又立氐池為北秦州。
(『晋書』巻十四、地理志上、秦州)


先日の記事で取り上げた晋の狄道郡の新設県だが、その後あまり史書に出てこないようだ。


麻秋尋次曲柳、劉寧、王擢進攻晉興・武街。
【校】
晉興、各本「 晉興 」作「始興」。按、張重華傳・通鑑九七並作「 晉興 」。 晉興乃涼州屬郡、張軌分西平置、見地理志上、「始」字譌、今據改。
(『晋書』巻一百七、石季龍載記下)


だが、ここの「進攻晉興・武街」は、「晋の狄道郡にある始興県・武街県を攻めた」、つまり狄道方面を攻めた、の意味なのではないのだろうか?


つまり「晋興」としている『資治通鑑』などの方が誤りで、もともと伝えられてきた「始興」の方が妥当なのでは。