いわゆる五帝、『史記』五帝本紀によると「黄帝」「帝顓頊」「帝嚳」「帝堯」「帝舜」。
帝嚳は黄帝の曽孫とされている。
堯は帝嚳の子とされている。
舜は顓頊の七代目の子孫とされている。
つまり全員が黄帝の子孫。堯と舜の間の帝位継承が「禅譲」であったとされるが、これもかなり離れているが血族内での譲位と言えてしまう。
天子とされる地位における異姓への禅譲は王莽が最初ということなのか?
まあ王莽も実は「高祖の神霊から帝位を譲ると言われた」みたいなことになっている(この時の天子になるはずの孺子嬰は幼児なので意思能力がない)ので、生きている天子から生きている異姓の臣下に禅譲した(ことになっている)最初はもしかして献帝と曹丕だったりする・・・?