シュレジンガーの皇帝

三月戊午朔、日有食之。
庚申、幸宛、帝不豫。
辛酉、令大將軍耿寶行太尉事、祠章陵園廟、告長沙・零陵太守、祠定王・節侯・鬱林府君。
乙丑、自宛還。
丁卯、幸葉、帝崩于乗輿、年三十二。
祕不敢宣、所在上食問起居如故。
庚午、還宮。
辛未夕、乃發喪。
(『後漢書』紀第五、孝安帝紀、延光四年)

皇帝の死を隠すというのは始皇帝が有名だが、後漢の安帝も行幸中の馬車の中で死んでいたのか。



安帝も始皇帝の時のように生きているかのように食事などを出していたようだが、洛陽の近くだったために死体が腐乱するようなことにはならずに済んだというところか。




行幸中で車中にいたからこそ気づかれずに済む、ということかもしれない。そういった状況下でなかったら明白に死亡がわかってしまい、隠しようがないだろうから。