近所の獄掾

平陽侯曹參者、沛人也。秦時為沛獄掾、而蕭何為主吏、居縣為豪吏矣。
(『史記』巻五十四、曹相国世家)

かの曹参は沛の獄掾で、蕭何ともども「豪吏」であったそうだ。


項梁嘗有櫟陽逮、乃請蘄獄掾曹咎書抵櫟陽獄掾司馬欣、以故事得已。
(『史記』巻七、項羽本紀)

項羽の叔父項梁は逮捕の危機を泗水郡にある蘄県の獄掾曹咎と、関中にある櫟陽の獄掾司馬欣に助けられた。



秦の世にあって逮捕をどうにかできた彼ら獄掾も、きっと豪吏だったのだろう。


獄掾が豪吏でしかなれないような職だったのか、それとも獄掾になるのが豪吏の第一歩だったのかは分からないが、この項梁の事例のようなときに口利きできるというのは、結構な力を持っている証拠だろうし、それが更なる権力や財力を生んだんじゃないか、と考えることも出来そうだ。


獄掾は生殺与奪の権に近い場所にいるから分からないでもない。




あと、蘄と沛、泗水郡の近い場所の獄掾が共に「曹氏」であるというのは、偶然にしてもなかなか面白い。



地理的にも近いので、その獄掾どうしは実際血縁者だったりするかもしれない。



曹参が劉邦の元で重要なポジションにあったのは言うまでもないが、曹咎も項羽の元で割と重要なポジションに就くので、どちらの曹氏も組織内の実力者だったことになるし、関連があったのだと思っても割と納得できる気がする。