かわいそうな獅子

獅子者波斯國胡王所獻也。為逆賊万俟醜奴所獲、留於寇中。永安末醜奴破滅、始達京師。
莊帝謂侍中李彧曰、朕聞虎見獅子必伏、可覔試之。於是詔近山郡縣捕虎以送。鞏縣・山陽並送二虎・一豹。帝在華林園觀之、於是虎・豹見獅子悉皆瞑目不敢仰視。園中素有盲熊、性甚馴。帝令取試之。虞人牽盲熊至、聞獅子氣驚怖跳踉、曳鎖而走。帝大笑。
普泰元年廣陵王即位、詔曰、禽獸囚之則違其性、宜放還山林。獅子亦令送歸本國。送獅子者以波斯道不可送達、遂在路殺獅子而返。有司糺劾、罪以違旨論。廣陵王曰、豈以獅子而罪人也。遂赦之。
(『洛陽伽藍紀』城南、龍華寺)

長く続いた方の魏の時、ペルシアの王が献上した獅子が洛陽にいたのだという。



当時の皇帝(孝荘帝)は「虎は獅子に平伏すると聞いたので試してみたい」などと言い出し、近隣から虎や豹を献上させて実際に試してみた。



そうしたところ、虎も豹も獅子と目を合わせようとしなかった。



ついでに飼われていた目の見えない熊を連れてきたが、その熊も獅子の気配を感じると鎖を引きずって逃げ出してしまった。



それを見た皇帝は爆笑したという。




その後、新たに広陵王(前廃帝)が皇帝に即位すると、「動物を捕らえているのは生き物本来のあり方ではないので解放してやるように」というお優しいのかどうか分からない命令が出され、その獅子もペルシアに送り返されることになった。



しかし届けるはずの者は遠くて無理だと思い、獅子を殺して帰ってきてしまった。その野郎は命令違反で処罰されるところだったが、皇帝は「獅子のために人間が罪に落ちてよいものか」と言って放免した、とのこと。




動物を虐待して喜ぶ野郎から動物を間違った方向に愛護する野郎と、獅子もずいぶん災難である。



それにしても、「獅子>虎>豹」みたいな強さの序列があるらしいのが興味深い。