生涯一武人

諸葛亮がまず就任した官は、軍師中郎将。
これは劉備オリジナルの官名のようだが、中郎将の一種だと考えると、彼の官歴はまずエリート武官から始まったと言えよう。

次いで、軍師将軍になった。
赤眉がこの将軍名を使っているが、劉備はそれを踏まえたわけではないだろう。
中郎将から将軍へのクラスチェンジである。
彼はこの地位のままで左将軍府(劉備の幕府)を取り仕切りった。

そして劉備が皇帝になると、諸葛亮は一気に丞相・録尚書事・仮節となり、ほどなくして司隷校尉が追加された。


諸葛亮の官職は一度も軍事から離れたことがない。
というか、中郎将、将軍、そして丞相と兵を率いる官だけを通っている。
仮節というのは『晋書』官職志などによれば軍事上での処分権であるから、この時の仮節も似たようなものだとすれば、丞相の諸葛亮は軍事において処分を下す可能性の高い立場だった、つまり兵を率いて敵と戦うことが定められていたということだ。
それに、降格した時でさえ、諸葛亮は右将軍になった。


諸葛亮はいわゆる叩き上げではないエリートには違いないが、生涯武人を貫いたのである。