劉禅の覚醒

http://blogs.yahoo.co.jp/antoine_henri_jomini/49501208.html
2ちゃんねる三戦板では有名なかのJominian氏の記事。


引いた記事には自分も参加していたが、劉禅の権力について自分で思ったことをこちらにも書いておく。


劉禅費禕姜維を派遣して蒋琬の東征を取りやめさせ、蒋琬は劉禅の命を承けて漢中を退いた、という蒋琬伝の内容。

これは蒋琬にとっては自らの失敗を宣言されたも同然であり、漢中を退いたのも失脚、あるいは左遷と言わざるを得ない。
そして、それを命じた主体は蒋琬伝を読む限りでは劉禅にあったと思わざるを得ない。


費禕などが裏から劉禅を操った、という陰謀論めいた可能性もあるが、だとすれば蒋琬と費禕の間にものすごく血生臭い権力闘争があったことを意味する。個人的にはそうではなくて劉禅サイドが費禕を利用したぐらいなんじゃないかとすら思っている。


蒋琬は病気であり漢中を退いたのも失脚を意味しない、という反論もあるだろう。
だが、それなら自分の側から漢中退去を申し出て他の者に引き継がせればいいことなのである。
自分が進めていた東征を止められた上に漢中退去を劉禅の側から示唆されたというのは、メンツ丸つぶれである。政治生命の終焉を意味すると言っても過言ではない。


そして蒋琬が失脚すると、費禕が大将軍になり、姜維が鎮西大将軍領涼州刺史となった。東征に代わりこの二人による北伐が劉禅より指示されたのである。
蒋琬伝には蒋琬がそれを進言したように書かれているが、これは手続き上の話である。実際にはその進言は「承命上疏」つまり「皇帝の勅旨があって言わされた」ものなのである。


もちろん、この一連の政変が全て劉禅主導だったかは怪しい。
東征反対・北伐賛成の一派が劉禅をも動かして蒋琬を引き摺り下ろしたというのが真相かもしれない。
だが、そうだとしても「皇帝が大司馬録尚書事を失脚に追い込んだ」という事実が劉禅本人の経験や自信につながり、独自のリーダーシップを発揮していく契機にはなったであろう。
劉禅は、もう父劉備や丞相諸葛亮のような一切反対できない存在はいないのだ、と気づいたのである。