清流派についての戯言

後漢末から三国時代にかけて「清流派」って呼ばれる連中がいるじゃないすか。

あいつら、なんとなくイメージ的には忠義心いっぱいで忠臣みたいな印象を持ってしまうんだけど、これって全然逆だよね。

清流派は時の皇帝桓帝の怒りを買って公職追放された連中。
そもそも存在が公序良俗に反しているというのが政権当局の見解だったわけだ。
もちろん追放された側の清流派も恨み骨髄。

いつかは復讐してやろう、取って代わってやろう、というのが清流派の本音だったに違いない。

その流れを汲む連中が外戚とはいえ皇帝=宦官の系列と微妙な関係にあった何進に肩入れしたり、独自の傀儡皇帝を立てようとする袁紹を守り立てていたり、皇帝を傀儡化した曹操の傘下に入ったりするのはごく自然な流れだったわけ。

いやもちろんそうじゃない人もいただろうけど、全体的な傾向としてね。