罪の理由

楚國先賢傳曰、(韓)邦字長林。少有才學。晉武帝時為野王令、有稱績。為新城太守、坐舉野王故吏為新城計吏、武帝大怒、遂殺邦。暨次子繇、高陽太守。繇子洪、侍御史。洪子壽、字徳貞。
(『三国志』巻二十四、韓暨伝注引『楚国先賢伝』)

韓暨の孫にあたる韓邦は、新城太守の時に自分の野王県令時代の故吏を新城太守の上計吏としたことが罪となり、晋武帝の怒りを買って殺された、のだそうだ。



かつての故吏を上計吏として登用するのは重罪ということだろうか(武帝が非常識なレベルで怒ったという可能性もあるが、だとしても罪となるようなことではあっただろう)。




上計吏は地元から採用するべきということなのか、それとも上計吏に縁故を持ち込んだことがよくないのか。そのあたりがイマイチよく分からないのだが、何か人材登用における禁止事項に引っかかったのは間違いないだろう。