執金吾滕循為司空、未拝、轉鎮南將軍、假節領廣州牧、率萬人從東道討(郭)馬、與族遇于始興、未得前。
(『三国志』巻四十八、孫晧伝、天紀三年八月)
滕脩字顯先、南陽西鄂人也。仕呉為將帥、封西鄂侯。
孫晧時、代熊睦為廣州刺史、甚有威惠。徴為執金吾。廣州部曲督郭馬等為亂、晧以脩宿有威惠、為嶺表所伏、以為使持節・都督廣州軍事・鎮南將軍・廣州牧以討之。未克而王師伐呉、脩率衆赴難。
(『晋書』巻五十七、滕脩伝)
この「滕循」と「滕脩」は同一人物なのだろうが、『三国志』の「滕循」は孫晧から司空に任命されたと書かれているのに、『晋書』の「滕脩」はそういう話が出ていない。
『晋書』は結果だけを簡潔に記したために実際に拝命していない司空を省略しただけかもしれないが、「あの孫晧に気に入られていて三公に選ばれた」ということになる話を敢えて伏せようとした、という可能性もありうるんじゃないか、などと思わないでもない。