盛彦字翁子、廣陵人也。少有異才。・・・(中略)・・・母王氏因疾失明、彦毎言及、未嘗不流涕。於是不應辟召、躬自侍養、母食必自哺之。母既疾久、至于婢使數見捶撻。婢忿恨、伺彦暫行、取蠐螬炙飴之。母食以為美、然疑是異物、密藏以示彦。彦見之、抱母慟哭、絶而復蘇。母目豁然即開、從此遂愈。
(『晋書』巻八十八、孝友伝、盛彦)
呉後半から晋にかけての人、盛彦。
彼は大変な孝行者で、目が見えなくなった母を介護していた。
しかし、その母にムチ打たれた婢女が、母への食事として「蠐螬」を焼いたものを出したという。
母はその食事が美味しいと思ったが、何か違和感を覚えたらしく、残しておいて息子の盛彦に見せた。
出されたのが「蠐螬」であると知った盛彦は驚愕のあまり母と抱き合って慟哭して気絶。
しかし、その後母は目が開き、また目が見えるようになったのだった。驚きのあまり目が開いたのか、謎の治癒によって開いたのかは定かではないが。
「蠐螬」というのはカブトムシやコガネムシ類の幼虫のことらしい。
どうやら現在も漢方では生薬として用いられるのだとか。
その婢女は単なる嫌がらせで幼虫を食わせたのか、それとも薬効があると信じて与えたのか・・・?
ただ、どちらにしても出された食事がカブトムシの幼虫だったと知った孝行息子が驚き悲しむのは無理からぬことだろうとは思う。