諸侯王軟禁の理由

悉録魏諸王公置于鄴、命有司監察、不得交關
(『晋書』巻一、宣帝紀

司馬懿は王淩の反乱を防いだ後、魏の諸侯王たちをみな鄴に置いて軟禁状態とした。



これは司馬懿が魏からの簒奪を図らんとしての行為に思えるし、確かにそういうつもりだったかもしれないが、その一方で王淩は魏武帝の子である楚王彪を皇帝に立てようとしていたとされている。

この時の司馬懿らが奉じた皇帝は烈祖様の養子で素性も明らかにされていない幼帝斉王芳である。



年齢も血筋も現在の皇帝より上である皇帝候補が山ほどいる、という状況なのである。



この状況では、斉王芳を皇帝として奉じる限り、司馬懿とは距離を置くような者であっても、他の諸侯王たちを野放しにはできない、という判断をせざるを得なかったのではなかろうか。



斉王芳は出自や血統の面では万全ではないため、ある程度の実力者が諸侯王を「正統な皇帝」として擁立した時、一定の説得力を持ってしまう危険性が高いと思われる。




こんな状況で、しかも実際に擁立されかかった者がいたとあっては、為政者の野心に関係なく、諸侯王を完全に監視できる体制にしなければいけない、と考えて不思議ではない。




つまり、この諸侯王軟禁は司馬懿が野心のみから行ったと言うよりは、当時の魏王朝を安定させるにはやむを得ない措置、という当時の朝臣らの総意だったんじゃないだろうか、ということだ。