地産地消

(泰始)五年春正月癸巳、申戒郡國計吏、守相令長務盡地利、禁游食商販。
(『晋書』巻三、武帝紀、泰始五年)

武帝のこの命令は、太守や県令にそれぞれの土地の産物をことごとく活用するようにし、交易により他の地域の物産を消費することを禁じる、というもの・・・ということでいいのだろうか。



地産地消」とやらを命令したということか。




ただここまでやると商業を否定しているように見えるので、経済活動に悪影響を及ぼしかねない、なかなかに大胆な命令かもしれない。



逆に商業活動で儲けて経済的な力を持ちつつある者たちを抑えようという策なのだろうか?




あと、蜀の地が版図に入ったばかりで呉はまだ敵地という状況のはずなので、中原からすると垂涎の物産が多いこれらの地との交易を制限することが主目的という可能性もあるか。