誰もが知っている

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曹魏の最後の皇帝は陳寿三国志』で「陳留王」と呼ばれているが、これは晋王司馬炎への禅譲後に晋皇帝より封建されたときの号である。



しかし、上記の以前の記事にあるように、陳寿三国志』では魏帝だった曹奐が陳留王になったということを書いておらず、『三国志』だけを見ると「曹奐は陳留王と書かれてるけどいつ名乗ったのだろうか」ということが謎のままになってしまう。




思うに、これは陳寿自身が生きた時代においては「陳留王」といえば曹奐かその子孫であることが明らかなので、「敢えて書かなくてもわかる」ということなのだと思う。*1





この現代の20年ほどの間に「イチロー」というカタカナ表記を見て「富永一朗」とか「R・田中一郎」を最初に連想するような人間はほぼおらず、まず間違いなくやきう選手の本名「鈴木一朗」を思い出す、というようなものかもしれない。



なんか違う気もするがまあいいか。




*1:それと、陳留王への封建は晋皇帝によるものなので、「晋王朝についての史書が記すべきだ」と考えた、というのもあるかもしれない。