孫和と曹操

ふと思ったのだが、曹魏または晋で作られた(陳寿三国志』以前の)曹魏史書では、魏武曹操は皇帝扱いされていたのではなかろうか?



呉の孫晧はそれを理解していて、「えっ、何で?生前皇帝になってない曹操をみんな皇帝扱いしてるのに、俺の父は生前皇太子にまでなってて皇帝に追尊もしたのに皇帝扱いできないの?」などと思っていたのではないか?



であれば、孫和を皇帝扱いしようとしない韋昭のことは、ことさらに孫和を貶めようとする不届き者に感じたに違いない。



少なくとも孫晧からすれば、孫和の扱いを中原における曹操の扱いのようにしたかったのであって、空前絶後言語道断なとんでもない無理を要求しているつもりなどはまるでなかったのではないか。