『漢書』王莽伝を読んでみよう:下その37

その36の続き。


四月、世祖與王常等別攻潁川、下昆陽・郾・定陵。
莽聞之愈恐、遣大司空王邑馳傳之雒陽、與司徒王尋發衆郡兵百萬、號曰「虎牙五威兵」、平定山東。得顓封爵、政決於邑、除用徴諸明兵法六十三家術者、各持圖書、受器械、備軍吏。傾府庫以遣邑、多齎珍寶猛獸、欲視饒富、用怖山東
邑至雒陽、州郡各選精兵、牧守自將、定會者四十二萬人、餘在道不絶、車甲士馬之盛、自古出師未嘗有也。
(『漢書』巻九十九下、王莽伝下)

四月、世祖は王常らと共に本隊から別れて潁川郡を攻め、昆陽・郾・定陵を下した。



王莽はこれを聞いてますます恐れ、大司空王邑を派遣して早馬で洛陽に行かせ、司徒王尋と郡兵百万を徴発して「虎牙五威兵」と呼んで山東を平定させようとした。爵位を自由に与える権利を与え、王邑に政治の決定権を与えることとした。召し出していた六十三の流派の兵法家を任用し、それぞれ兵法の書籍や図を持ち、武器や装備を受け、軍吏を与えられた。倉庫を空にして王邑に与え、財宝や猛獣を数多く持たせることで、新王朝が富み栄えていることを示し、山東を畏怖させようとした。



王邑が洛陽に到着すると州郡はそれぞれ精鋭を選抜して牧や太守が自ら率い、集合した者は四十二万人、残りも道に絶え間なく並び、馬車、鎧、騎馬等の盛んな様は古来の出征で未だかつてないほどであった。



いよいよ王莽側が追い詰められてきた。だが腐っても中央政府、四十二万人もの兵を揃えて山東討伐を始めようとする。




このあたりの特に世祖側についてはこのブログとかを参照