『漢書』王莽伝を読んでみよう:下その43

その42の続き。


秋、太白星流入太微、燭地如月光。
成紀隗崔兄弟共劫大尹李育、以兄子隗囂為大將軍、攻殺雍州牧陳慶・安定卒正王旬、并其衆、移書郡縣、數莽罪惡萬於桀紂
是月、析人訒曄・于匡起兵南郷百餘人。時析宰將兵數千屯鄡亭、備武關。曄・匡謂宰曰「劉帝已立、君何不知命也!」宰請降、盡得其衆。曄自稱輔漢左將軍、匡右將軍、拔析・丹水、攻武關、都尉朱萌降。進攻右隊大夫宋綱、殺之、西拔湖。
莽愈憂、不知所出。崔發言「周禮及春秋左氏、國有大災、則哭以厭之。故易稱『先號咷而後笑』。宜呼嗟告天以求救。」莽自知敗、乃率羣臣至南郊、陳其符命本末、仰天曰「皇天既命授臣莽、何不殄滅衆賊?即令臣莽非是、願下雷霆誅臣莽!」因搏心大哭、氣盡、伏而叩頭。又作告天策、自陳功勞、千餘言。諸生小民會旦夕哭、為設飧粥、甚悲哀及能誦策文者除以為郎、至五千餘人。䠠綠將領之。
(『漢書』巻九十九下、王莽伝下)

秋、太白星が太微に入り、地面を月光のように照らした。



成紀の隗崔兄弟が大尹の李育を脅し、兄の子の隗囂を大将軍とし、雍州牧の陳慶・安定卒正の王旬を攻め殺してその率いていた兵を合わせ、郡県に文書を送り、王莽の罪悪は桀・紂の一万倍にもなると責め立てた。



この月、析県の人である訒曄・于匡が南郷の百人余りをもって挙兵した。この時、析県の宰は兵数千を率いて鄡亭に駐屯し武関の守りに備えていた。訒曄・于匡は県宰に「劉氏の皇帝が既に立っているというのに、貴方はどうして天命を知らないのか」と言った。県宰は降伏を願い出、その率いていた兵を全て得た。
訒曄は輔漢左将軍、于匡は右将軍を自称し、析・丹水を攻め落とし、武関を攻め、武関の都尉である朱萌が降伏した。右隊大夫の宋綱を攻め殺し、西へ向かい湖県を攻め落とした。



王莽はいよいよ恐れてなすすべを失った。崔発は「『周礼』や『左伝』によれば、国に禍があった時には泣き叫ぶ礼によってそれを鎮めると言います。故に『易経』では「先に泣き叫び、その後に笑う」と言います。天に叫んで助けを求めるべきです。」
王莽は自ら敗れつつあることを知り、群臣を率いて南郊で天命を受けた顛末を述べ、天を仰いで「天は私に天命を授けられたのに、どうして賊が滅んでいないのでしょうか。もし私が本当の天命を受けた人物でないというなら、雷で私を打ち殺してください」と言い、心臓を叩いて泣き叫び、力尽きると伏して頭を地面に叩きつけた。
また天に対して告げる策書を作って自らの功績を千余言に渡って述べた。学生や民が朝夕に一堂に会して泣き叫ぶ礼を行い、そのために粥を振る舞い、泣き叫ぶ様がとても悲しげであった者、策書を上手く朗読できた者を郎とし、それが五千人にも至った。䠠綠がそれを統括した。



隗囂が、訒曄が挙兵する。


王莽のいる長安というのはいわば隗囂が挙兵した隴西と訒曄が挙兵した弘農の間に挟まれているようなものである。



つまり王莽そして都の人間にとって、これらの反乱は遠いどこかの話ではなく、割と近場で起こっていることになるのだと思われる。




反乱が段々王莽自身に近づいてきている。