『漢書』王莽伝を読んでみよう:下その50

その49の続き。


贊曰、王莽始起外戚、折節力行、以要名譽、宗族稱孝、師友歸仁。及其居位輔政、成・哀之際、勤勞國家、直道而行、動見稱述。豈所謂「在家必聞、在國必聞」、「色取仁而行違」者邪?莽既不仁而有佞邪之材、又乗四父歴世之權、遭漢中微、國統三絶、而太后壽考為之宗主、故得肆其姦慝、以成簒盜之禍。推是言之、亦天時、非人力之致矣。及其竊位南面、處非所據、顛覆之勢險於桀紂、而莽晏然自以黄・虞復出也。乃始恣睢、奮其威詐、滔天虐民、窮凶惡極、毒流諸夏、亂延蠻貉、猶未足逞其欲焉。是以四海之内、囂然喪其樂生之心、中外憤怨、遠近倶發、城池不守、支體分裂、遂令天下城邑為虚、丘壠發掘、害徧生民、辜及朽骨、自書傳所載亂臣賊子無道之人、考其禍敗、未有如莽之甚者也。昔秦燔詩書以立私議、莽誦六藝以文姦言、同歸誅塗、倶用滅亡。皆炕龍絶氣、非命之運、紫色䵷聲、餘分閏位、聖王之驅除云爾!
(『漢書』巻九十九下、王莽伝下)

評価の言葉としてこう言う。



王莽は外戚より勃興し、節度ある行いに努めて名誉を求め、宗族は孝行者と称え、師匠や友人はその仁義の言動に味方した。高い位に就き国政を補佐するようになり、成帝・哀帝の代替わりの時、王朝に対して功労があり、正しい行いを敢えてしたことで、人々に称賛された。「官に仕えず家にいても周囲に名声が聞こえ、官に仕え朝廷にいても周囲に名声が聞こえる」とか、「仁の心の持ち主と偽っても言動が合わない」とかというものであろうか。
王莽がもとより仁の心に欠けた邪な能力の持ち主であり、更に四人の叔父たちが代々継いできた権力に乗じ、漢王朝がいったん衰微し、皇統が三度途絶え、しかも皇太后は長寿であって漢王朝の宗主となったため、隠された邪心を好き放題にし、簒奪という大いなる禍を成し遂げさせてしまった。
ここから考えるに、これもまた天命の逆らえない流れであり、人の力のみでこうなったのではないのだろう。
帝位を盗み、居るべきではない地位に居るようになると、転覆しそうな勢いは桀・紂よりも危険であったが、王莽は安穏と自分が黄帝や虞が現代に出現したのだと言っていた。自分勝手な怒りから始まり、脅しと偽りを用い、民を虐げること極まりなく、最大級の凶悪さであり、害毒を全土に及ぼし、四方の異民族にまで及んだが、それでもなお欲を満たせていないかのようであった。
これによって天下全てが騒がしくなって人生を楽しむ心を失い、内外ともに憤怒し、遠近ともに挙兵し、固い城壁でも守れず、身体はバラバラになり、天下の城がどこも廃墟と化し、墳墓も盗掘され、害悪が民に等しく降りかかり、遺体にまで及んだ。
諸書に記載されているいかなる奸臣、反逆者、邪悪な者ですら、その禍と敗北について考えてみると、王莽ほど甚だしい者はいなかった。
昔、秦王朝経書焚書して勝手な議論を立て、王莽は六芸を暗誦させて偽りの言葉を飾り立てたが、どちらも誅殺され滅亡する道を辿った。どちらも高く登りすぎた竜が気絶するようなもので、天命を受けた者ではなく、正統ではなく閏位で中途半端な存在であり、聖天子が駆除したのである。



漢書』編者の王莽評。



王莽による簒奪もまた一種の運命だが、天命を受けていない「閏位」だったので、秦を高祖劉邦が駆除したように聖天子が王莽を駆除したんだよ、ということだそうだ。




皇帝の度重なる急逝と叔母が皇太后であったという幸運のお蔭であった、というのは、まあその通りだろう。王莽がどれだけ人格を称賛されたとしても、近親者が皇太后でもなければいきなり国政に関わる地位には就けなかったことが明らかであるからだ。






というわけで、これで『漢書』王莽伝は最後である。どっかで記事にし忘れてたりしなければ。