『漢書』王莽伝を読んでみよう:下その44

その43の続き。


莽拜將軍九人、皆以虎為號、號曰「九虎」、將北軍精兵數萬人東、内其妻子宮中以為質。時省中黄金萬斤者為一匱、尚有六十匱、黄門・鉤盾・臧府・中尚方處處各有數匱。長樂御府・中御府及都内・平準帑藏錢帛珠玉財物甚衆、莽愈愛之、賜九虎士人四千錢。衆重怨、無鬬意。
九虎至華陰回谿、距隘、北從河南至山。于匡持數千弩、乗堆挑戰。訒曄將二萬餘人從閿郷南出棗街・作姑、破其一部、北出九虎後撃之。六虎敗走。史熊・王況詣闕歸死、莽使使責死者安在、皆自殺。其四虎亡。三虎郭欽・陳翬・成重收散卒、保京師倉。
(『漢書』巻九十九下、王莽伝下)

王莽は将軍を九人任命し、全員「虎」を称号に付けて「九虎」と称し、北軍の精鋭数万人を率いて東へ進軍させ、その妻子を宮中に入れて人質とした。



その時、宮中には黄金一万斤の入った箱が六十箱あり、黄門・鉤盾・臧府・中尚方にもそれぞれ数箱ずつあった。長楽御府、中御府、平準で所蔵されている銭や反物や宝石などの財宝も大変多く、王莽はこれを惜しんで九虎には一人あたり四千銭しか下賜しなかった。そのため人々は更に恨みを募らせ、戦闘する気が起こらなかった。



九虎は華陰に至って谷川を回って隘路で守り、河南から北へ向かい山へ至った。于匡は弩数千を携えて丘に登って戦を挑んだ。訒曄は二万人を率いて閿郷から棗街・作姑へ出て、その一部隊を破り、北側の九虎の後方へ出て背後から攻めた。
九虎のうち六虎は敗走し、史熊・王況は都の正門へ至って死を覚悟の報告をし、王莽は使者に「死んだ者たちはどこにいるのか」と詰問したため、どちらも自殺した。敗走した残り四虎はどこかへ逃げた。郭欽・陳翬・成重の三虎はちりぢりになった兵を再結集させて京師倉に駐屯した。



王莽の九虎将軍、華々しいデビューを飾るの巻。



軍容自体は王莽の持つ戦力を総ざらいしたようなものであり、これが敗れたらいよいよ王莽は窮地であろう。