『漢書』王莽伝を読んでみよう:下その40

その39の続き。


先是、衛將軍王渉素養道士西門君惠。君惠好天文讖記、為渉言「星孛掃宮室、劉氏當復興、國師公姓名是也。」渉信其言、以語大司馬董忠、數倶至國師殿中廬道語星宿、國師不應。
後渉特往、對歆涕泣言「誠欲與公共安宗族、奈何不信渉也!」歆因為言天文人事、東方必成。渉曰「新都哀侯小被病、功顯君素耆酒、疑帝本非我家子也。董公主中軍精兵、渉領宮衛、伊休侯主殿中、如同心合謀、共劫持帝、東降南陽天子、可以全宗族。不者、倶夷滅矣!」
伊休侯者、歆長子也、為侍中五官中郎將、莽素愛之。歆怨莽殺其三子、又畏大禍至、遂與渉・忠謀、欲發。歆曰「當待太白星出、乃可。」
忠以司中大贅起武侯孫伋亦主兵、復與伋謀。伋歸家、顏色變、不能食。妻怪問之、語其状。妻以告弟雲陽陳邯、邯欲告之。
(『漢書』巻九十九下、王莽伝下)

これより前、衛将軍の王渉は道士の西門君恵を食客としていた。西門君恵は天文や予言を好み、王渉に対して「ほうき星が宮殿を掃除し、劉氏が復興しようとしています。国師公の姓名がまさにそれなのです」と言った。
王渉はその言葉を信じてそれを大司馬董忠に語り、一緒になって何度か国師劉歆に殿中の控室の中で星の巡りについて語ったが、国師劉歆はそれに応じなかった。



その後王渉は一人で劉歆の元を訪れ、劉歆に対面して涙を流して「もし公とその宗族を守ろうと思うなら、どうして私のことを信じていただけないのです?」と言った。劉歆はそこで天文と人の営みの関係を語り、東方の討伐は必ず上手く行くと言った。
王渉は「新都哀侯は若い頃から病気持ちで、功顕君は酒を嗜むことが多かったのです。皇帝陛下は本当に新都哀侯の実子なんですかねえ・・・?董公は中軍の精鋭を率い、私は宮殿の護衛を指揮し、貴方の息子の伊休侯は殿中の事を司っています。もしみなが心を合わせて協力し、皇帝陛下を脅迫して南陽の天子(更始帝)に降伏すれば、宗族を守ることができましょう。そうでなければ、皆誅滅されてしまいます。」と言った。
伊休侯というのは劉歆の長子であり、侍中・五官中郎将となっており、王莽は前から厚遇していた。
劉歆は王莽が三人の子供を殺した事を恨んでおり、更に大いなる禍が近づいている事を恐れ、遂に王渉・董忠と共謀することにし、クーデターを起こそうとした。
劉歆は「太白星が出てくるのを待ち、そうなってから起こすべきだ」と言った。



董忠は司中大贅の起武侯孫伋も兵を率いていることから、孫伋とも共謀した。孫伋は家に帰った時、顔色が変わっており、食事が喉を通らなかった。妻が怪しんで理由を尋ねたので、孫伋はその事情を語った。
妻は自分の弟である雲陽の陳邯にその事を告げ、陳邯はそれを密告しようとした。



劉歆、クーデター計画に参加するの巻。



初、道士西門君惠・李守等亦云劉秀當為天子。
(『後漢書』紀第一下、光武帝紀下)

初、(劉)歆以建平元年改名秀、字穎叔云。
(『漢書』巻三十六、劉歆伝)


西門君恵は「劉秀」が天子になると予言した人物であった。そして劉歆はこの時は実際には「劉秀」と名乗っていた。




王渉が語る「病弱な新都哀侯(王莽の父)は本当に王莽の父なのか?酒に酔った功顕君(王莽の母)が行きずりのアレとアレしてアレした結果が王莽誕生じゃないのか」という疑念は、王渉が王莽の親族であるために説得力があったのかもしれない。






王莽政権の臣下の最上位の一人劉歆に中央軍、宮殿の護衛、殿中の衛兵それぞれの指揮官が結集するという、王莽政権最大の反乱計画である。



だが参加人数が増えすぎると露見の危険も増えるということのようだ。