『漢書』王莽伝を読んでみよう:下その35

その34の続き。


羣臣上壽曰「乃庚子雨水灑道、辛丑清靚無塵、其夕穀風迅疾、從東北來。辛丑、巽之宮日也。巽為風為順、后誼明、母道得、温和慈惠之化也。易曰『受茲介福、于其王母。』禮曰『承天之慶、萬福無疆。』諸欲依廢漢火劉、皆沃灌雪除、殄滅無餘雜矣。百穀豐茂、庶草蕃殖、元元驩喜、兆民頼福、天下幸甚!」
莽日與方士涿郡昭君等於後宮考驗方術、縱淫樂焉。大赦天下、然猶曰「故漢氏舂陵侯羣子劉伯升與其族人婚姻黨與、妄流言惑衆、悖畔天命、及手害更始將軍廉丹・前隊大夫甄阜・屬正梁丘賜、及北狄胡虜逆輿・洎南僰虜若豆・孟遷、不用此書。有能捕得此人者、皆封為上公、食邑萬戸、賜寶貨五千萬。」
(『漢書』巻九十九下、王莽伝下)

群臣は祝いの杯を捧げて言った。「先に庚子の日は雨水が道を潤し、辛丑の日には綺麗になって塵ひとつ無く、その夕方には北東からの早い谷風が吹きました。辛丑というのは巽に当たる日です。巽とは風であり従順であることです。后としての義が明らかで、母としての道が備わり、温和で慈しみ深いことの表れなのです。『易経』に「大いなる福を王母が受ける」と言い、『礼』に「天の慶賀を受け、限りなく幸福である」と言います。漢の火徳、劉氏を廃そうとして水で注ぎ落とし、混ざりものを滅ぼし尽くしました。全ての穀物が豊作で、あらゆる植物が生い茂り、人々が歓喜し、据えての民がその福を頼り、天下は幸いであります」



王莽は日々方士である涿郡の昭君らと後宮で秘技を試し、悦楽をほしいままにした。



天下に大赦令を下したが、それでもなおこう言った。「元の漢の舂陵侯の分家である劉伯升がその同族たちと共に同じ一党の者と婚姻し、みだりに流言飛語を発して人々を惑わし、更始将軍廉丹・前隊大夫甄阜・属正梁丘賜らを手ずから殺した。彼らと匈奴の首領輿、南蛮の若豆・孟遷らはこの大赦令の対象としない。もし彼らを捕える者がいたら上公とし、一万戸の領主にし、宝貨五千万銭分を与える」



王莽、再婚の裏で謎の導師と性技にチャレンジしていた。



おそらくだが、奴婢の子しか男子がいないことから、後継ぎを得るために励む必要があったということではないかと思う。