陳国と黄巾

(皇甫)嵩・(朱)儁乘勝進討汝南・陳國黄巾、追波才於陽翟、撃彭脱於西華、並破之。
(『後漢書』列伝第六十、皇甫嵩伝)

及黄巾起、公卿多薦(朱)儁有才略、拜為右中郎將、持節、與左中郎將皇甫嵩討潁川・汝南・陳國諸賊、悉破平之。
(『後漢書』列伝第六十、朱儁伝)

いわゆる黄巾賊が反乱を起こした際、予州では潁川郡・汝南郡・陳国あたりを中心に乱が広がっていたらしい。



その三郡国は大きなところだったからというのもあるかもしれないが。




(劉)寵善弩射、十發十中、中皆同處。中平中、黄巾賊起、郡縣皆弃城走、寵有彊弩數千張、出軍都亭。國人素聞王善射、不敢反叛、故陳獨得完、百姓歸之者衆十餘萬人。
(『後漢書』列伝第四十、陳愍王寵伝)

ところで、陳国といえばその王は弩で威圧して国内の黄巾が反乱するのを抑えたという陳王劉寵。



・・・あれ?




抑えたんじゃなかったのか・・・?*1

*1:ある程度は抑えはしたが抑え切れてはいなかったのだ、ということかもしれない。だが、「陳だけは国を全うした」というあたりに少々眉唾感が出てくるのは確かであろう。