王宮の修築

又詔敕曰「故左將軍袁術不顧朝恩、坐創凶逆、造合虚偽、欲因兵亂、詭詐百姓、始聞其言以為不然。定得使持節平東將軍領徐州牧温侯(呂)布上術所造惑衆妖妄、知術鴟梟之性、遂其無道、修治王宮、署置公卿、郊天祀地、殘民害物、為禍深酷。布前後上策乃心本朝、欲還討術、為國效節、乞加顯異。夫縣賞俟功、惟勤是與、故便寵授、承襲前邑、重以大郡、榮耀兼至、是策輸力竭命之秋也。其亟與布及行呉郡太守安東將軍陳瑀戮力一心、同時赴討。」
(『三国志』巻四十六、孫策伝注引『江表伝』)


建安二年、孫策へ下された詔(ということは曹操の影響下にある詔と言える)の中で言われていること。





袁術は王宮を修築して勝手に公卿を置き、天地を祀った」




これ、多分袁術が「皇帝の大権を犯した」ことを責めているんだろうけど、袁術が修理した(ただ直したという意味ではなく、皇帝の宮殿として使おうとした、ということだろう)というのはどこの宮殿なんだろうな・・・。



一番ありそうなのはやっぱ陳王の宮殿かな・・・。