2012-01-01から1年間の記事一覧

幸せの時間

http://www.futabasha.co.jp/introduction/2012/shiawase-no-jikan/ あの国友やすゆき先生の名作『幸せの時間』が昼ドラになっていたのか・・・。 仕事で見ることが出来ないが、思ったより再現度が高いようにも見える。 見ることの出来る人は見てみて(内容…

私家版「三国志クイズ(上級編)」

ネタがないからhttp://d.hatena.ne.jp/chincho/20121104/1352037805に勝手に対抗して、自分なりの「三国志クイズ上級編」を作ってみた。まあ、我こそは「三国志マニア」であると自認する方なら楽勝ではないかと思う問題ばかりであるのではなかろうか。 答え…

今ふと思ったんだが、もう少し経つとこのブログ4周年なんだなあ。まあ、まだまだ駆け出しだけどほぼ毎日何かはしてきたわけだからちょっとは自慢していいと思わない?思うよね?思え。 誰も気づかないし祝う事もないので自分から言っておく。

単家

魏略曰(張)既世單家、為人有容儀。少小工書疏、為郡門下小吏、而家富。自惟門寒、念無以自達、乃常畜好刀筆及版奏、伺諸大吏有乏者輒給與、以是見識焉。 (『三国志』巻十五、張既伝注引『魏略』) 三国魏の張既は左馮翊の人で、家は寒門ではあったが裕福…

隠蔽工作

李松遣偏將軍韓臣等徑西至新豐、與莽波水將軍戰、波水走。 (『漢書』巻九十九下、王莽伝下) 王莽の新が事実上瓦解した頃の話。更始帝劉玄の元の丞相司直李松は偏将軍韓臣らを新豊方面に派遣し、新豊で王莽の任命した波水将軍と交戦、波水将軍を打ち破って…

燕王旦の反乱(第一次)

唐突だが、『史記』補にある燕王旦と使者のやりとりについて記す。脅しつつ戦争を回避しようとする感じが面白かったから。

昇進ルートとしての西域都護

段會宗字子松、天水上邽人也。竟寧中、以杜陵令五府舉為西域都護騎都尉光祿大夫、西域敬其威信。三歳、更盡還、拜為沛郡太守。以單于當朝、徙為雁門太守。數年、坐法免。西域諸國上書願得會宗、陽朔中復為都護。 (『漢書』巻七十、段会宗伝) 前漢の西域都…

世子2

http://d.hatena.ne.jp/T_S/20121029/1351438550 ちょっと前の記事について。 (建安)十六年春正月、天子命公世子(曹)丕為五官中郎將、置官屬、為丞相副。 (『三国志』巻一、武帝紀) 曹操が魏公となる前、爵位としては列侯であった曹操の「世子」は曹丕…

アルプスの少女

http://www.tsubasabunko.jp/special/sp1210-c.php#wrapper http://www.tsubasabunko.jp/bookdetails/index.php?pcd=321206000258 最近の『アルプスの少女ハイジ』。 まあこういうのは時代と共に変わっていってしかるべきなので、『赤毛のアン』なんかも今風…

世子

豫章太守廖奏言「舜封象於有鼻、死不為置後、以為暴亂之人不宜為太祖。海昏侯賀死、上當為後者子充國、充國死、復上弟奉親。奉親復死、是天絶之也。陛下聖仁、於賀甚厚、雖舜於象無以加也。宜以禮絶賀、以奉天意。願下有司議。」議皆以為不宜為立嗣、國除。 …

しーしー

先是、(東方)朔嘗醉入殿中、小遺殿上、劾不敬。有詔免為庶人、待詔宦者署、因此對復為中郎、因賜帛百匹。 【注】 師古曰「小遺者、小便也。」 (『漢書』巻六十五、東方朔伝) 漢の武帝の時代、東方朔は殿中に酔った状態で入り、殿中で聖なる行水してしま…

西域都護の出身

鄭吉、會稽人也、以卒伍從軍、數出西域、由是為郎。吉為人彊執、習外國事。 (『漢書』巻七十、鄭吉伝) 前漢の鄭吉は史上初の西域都護となった人物である。 当時、西域で名を馳せた人物というと大抵は西域近辺や北辺出身の人物なのだが、鄭吉は何故か江南の…

野球漫画の主人公あらわる

http://www.rakuteneagles.jp/team/contents/draft/2012.php今年のプロ野球ドラフト会議が終わり、東北楽天イーグルスの指名選手が出そろった。 そのうち、5位指名の「島井 寛仁」さんについては事情通ですら詳細を知らないという無名選手だったのだが、実…

劉邦と母とその夫

超むかしの記事。http://d.hatena.ne.jp/T_S/20081214/1229271806 漢の高祖の実母、劉媼の墓は劉邦らの地元には無かったと言う話。死亡時に劉邦やその父劉太公の元には居なかったという可能性があるということだ。もしかするとそこが彼女の実家なのかもしれ…

建安年間の皇太子

芸文類聚に曹操が「皇太子」に銀の香炉四つ送りますと述べた上疏が載っているのだけども、この皇太子って誰なんだろう。色々、豪華なラインナップだから、建安年間のことだろうけど、献帝に太子いないし。劉弁なのか?むむむ。— 徳操さん (@daradara3594) 10…

デミさん

七年冬十月、令列侯太夫人・夫人・諸侯王子及吏二千石無得擅徴捕。 【注】 如淳曰「列侯之妻稱夫人。列侯死、子復為列侯、乃得稱太夫人、子不為列侯不得稱也。」 (『漢書』巻四、文帝紀) 列侯の太夫人、夫人、諸侯王の子、吏二千石は勝手に召還・逮捕する…

買ってきた漫画

『GANTZ』35巻が出ていた。 今更言うまでもない読むのに5分なのだが・・・。 命を落とすメガネっ子宇宙人。 桜井は最期に救いを見たのか。 対峙する西くんと玄野、そしてそれぞれの父親の残酷な言葉が対比される。 終わりは近い。きっとあと5巻くら…

起きた

少々体調がすぐれず横になってたらこんな時間に目が覚めた。また寝るけど。

蜀か晋か

評曰、杜微脩身隱靜、不役當世、庶幾夷・皓之槩。周羣占天有徴、杜瓊沈默慎密、諸生之純也。許・孟・來・李、博渉多聞、尹默精于左氏、雖不以徳業為稱、信皆一時之學士。譙周詞理淵通、為世碩儒、有董・揚之規、郤正文辭燦爛、有張・蔡之風、加其行止、君子…

民間人から王

十一年春、故韓王信復與胡騎入居參合、距漢。 漢使柴將軍撃之、遺信書曰「陛下𥶡仁、諸侯雖有畔亡、而復歸、輒復故位號、不誅也。大王所知。今王以敗亡走胡、非有大罪、急自歸!」 韓王信報曰「陛下擢僕起閭巷、南面稱孤、此僕之幸也。滎陽之事、僕不能死、…

小さな疑問

ただのつぶやき。 呉主權潘夫人、會稽句章人也。・・・(中略)・・・ 權不豫、夫人使問中書令孫弘呂后專制故事。侍疾疲勞、因以羸疾、諸宮人伺其昬臥、共縊殺之、託言中惡。後事泄、坐死者六七人。權尋薨、合葬蔣陵。 (『三国志』巻五十、潘夫人伝) 呉の…

四天王

先日の記事で「西郡」があると言った。 これにより、当時は 西郡 南郡 東郡 が存在していたことになる。 こうなったらもうちょっと頑張って「北郡」も作れよ曹操。 ちなみにその時期は 北海郡 東海郡 南海郡 西海郡 もあったので、こっちは四種コンプリート…

曹彰にまつわるエトセトラ

以前からブログで記事にしてきた気がするし、ツイッターでも何度か言ってる気がする事。 大した話ではない。

西くん2

http://d.hatena.ne.jp/T_S/20121014/1350143733の続き。ちょっとだけ。 西郡。漢置。統縣五、戸一千九百。 (『晋書』巻十四、地理志上、涼州) 西郡は晋代になっても残っていた。 しかし涼州には西平郡や西海郡もあるのに紛らわしくなかったんだろうか。

西くん

張掖郡。故匈奴昆邪王地、武帝置。雒陽西四千二百里。獻帝分置西郡。 (『続漢書』志第二十三、郡国志五) 後漢末には南郡、東郡だけではなく西郡もあったのか。

遼東からの流民

夏六月、以遼東東沓縣吏民渡海居齊郡界、以故縱城為新沓縣以居徙民。 (『三国志』巻四、斉王芳紀、青龍三年) 丙戌、以遼東汶・北豐縣民流徙渡海、規齊郡之西安・臨菑・昌國縣界為新汶・南豐縣、以居流民。 (『三国志』巻四、斉王芳紀、正始元年) 魏の皇…

皇帝陛下の評判2

昨日の記事(http://d.hatena.ne.jp/T_S/20121011/1349881371)コメントで、id:mujin氏が「劉曄の「始皇、武帝の仲間」という表現」について指摘されていた。 世語曰、帝與朝士素不接、即位之後、羣下想聞風采。居數日、獨見侍中劉曄、語盡日。衆人側聽、曄…

皇帝陛下の評判

明帝即位、進封潁郷侯、邑三百戸。 時中書監劉放・令孫資見信於主、制斷時政、大臣莫不交好、而(辛)毗不與往來。毗子敞諫曰「今劉・孫用事、衆皆影附、大人宜小降意、和光同塵。不然必有謗言。」毗正色曰「主上雖未稱聰明、不為闇劣。吾之立身、自有本未。…

ガイドマップ入手

手に入れた。 リアルS市杜王町と関係する荒木先生関係漫画の人名や地名等についてガイドしている。 なんと「ジョジョ」だけではなく、『バオー来訪者』や『ドルチ』『デッドマンズQ』も取り上げられているのだ。 さあ今すぐリアルS市へ来て手に入れるんだ…