遼東からの流民

夏六月、以遼東東沓縣吏民渡海居齊郡界、以故縱城為新沓縣以居徙民。
(『三国志』巻四、斉王芳紀、青龍三年)

丙戌、以遼東汶・北豐縣民流徙渡海、規齊郡之西安・臨菑・昌國縣界為新汶・南豐縣、以居流民。
(『三国志』巻四、斉王芳紀、正始元年)

魏の皇帝斉王芳の時代、遼東から海を越えて斉側に流れてきた民が多かったらしい。


そのために新たに県を複数設置するほどなので、かなりの人数だったようだ。



言い換えれば、遼東には後漢末の混乱で民がそれだけ多く逃げていたということなのだろう。