皇帝陛下の評判

明帝即位、進封潁郷侯、邑三百戸。
時中書監劉放・令孫資見信於主、制斷時政、大臣莫不交好、而(辛)毗不與往來。毗子敞諫曰「今劉・孫用事、衆皆影附、大人宜小降意、和光同塵。不然必有謗言。」毗正色曰「主上雖未稱聰明、不為闇劣。吾之立身、自有本未。就與劉・孫不平、不過令吾不作三公而已、何危害之有?焉有大丈夫欲為公而毀其高節者邪?」
(『三国志』巻二十五、辛毗伝)

三国時代、魏の辛毗は明帝曹叡様の事を「皇帝陛下は未だ聡明であるとは言われてはいないものの、暗愚ではない」となんとなく微妙な表現で評した。



辛毗はその後出世コースから外れるのだが、これは上記の列伝で示唆されるような劉放・孫資と癒着しなかったからというのではなく、皇帝陛下を「ま、バカではないよ、バカでは」みたいな感じで凡才扱いしていたことがバレていたからなんじゃないの?とふと思った秋の夜。




それにしてもこの明帝評はなかなか面白い。

即位からさほど経っていない頃だと思うが、「悪くはないよね」みたいな消極的評価なのが気になるところだ。