世子

豫章太守廖奏言「舜封象於有鼻、死不為置後、以為暴亂之人不宜為太祖。海昏侯賀死、上當為後者子充國、充國死、復上弟奉親。奉親復死、是天絶之也。陛下聖仁、於賀甚厚、雖舜於象無以加也。宜以禮絶賀、以奉天意。願下有司議。」議皆以為不宜為立嗣、國除。
元帝即位、復封賀子代宗為海昏侯、傳子至孫、今見為侯。
(『漢書』巻六十三、海昏侯賀伝)


前漢の元皇帝、海昏侯劉賀は当初は子の充国を後継ぎとしてお上に報告していたがその充国が死亡し、継いで別の子の奉親を後継ぎに立てたがその子にも先立たれた。


そこで「これは天が劉賀の血統を絶とうとしているのである」と解釈し、劉賀が死んだ時に後継ぎに国を継承させずに国を没収した。




漢代の列侯は後継ぎをお上に報告することになっていたらしい。

多分、そうして後継ぎと決められた者が「世子」と呼ばれるのだと思われる。