ハイパー暴君

魏明帝景初元年九月、淫雨過常、冀・兗・徐・豫四州水出、沒溺殺人、漂失財産。
帝自初即位、便淫奢極欲、多占幼女、或奪士妻、崇飾宮室、妨害農戰、觸情恣欲、至是彌甚、號令逆時、饑不損役。此水不潤下之應也。
(『宋書』巻三十三、五行志四、水)


以前にもこの内容は記事にしたことがあるが、改めて読んでみるとすごいな。



「魏明帝こと烈祖様は即位以来欲望をほしいままにし、多くの幼女を我が物とし、兵士の妻を強奪することもあり、宮殿を飾り立てて農業や戦争を妨げ、思いのままに振舞っていたが、ここに至ってますますひどくなり、命令は時期に合わず、人々が飢餓に苦しんでいても労役を減らさなかった」



なかなかレベルの高い暴君扱いされてるな。



実態はともかく、これが晋や南北朝時代における烈祖様の評価のスタンダードなんだろうか。



まあ実際問題、魏は烈祖様以降は皇帝がまともに機能することがなかったので、実質的な「最後の皇帝」、言い換えると「魏滅亡の主な原因」みたいに言われるのも不思議ではないのだろう。