ひとこと(孫和伝)

三国志』孫和伝本文には孫晧以外の子の存在が書かれていないような・・・?(書かれているのは注の『呉歴』である)



同じ巻にある孫登・孫覇・孫奮の子のことは何らかの言及があるところを見ると、おそらくは意図的なものなのだろう。



三国志』呉書の祖型となったと言われる韋昭『呉書』は、孫晧が嫡子ではなく、孫和の正統を継ぐべき皇子が他にいた、ということを隠そうとしたのだと思う。