裏切りの代償

三国志』本文においては、孫晧の父孫和の正妻が張氏だということは記されているが、その張氏が生んだ孫俊については存在がぼかされていて、「正妻が生んだ子(嫡子)がいる」ということが隠されていると思われる。


というか『三国志』孫和伝では子の存在に触れられておらず、孫和何姫伝では「孫晧と三人の弟」とのみ扱われている。これでは当然正妻張氏が生んだ子がいるかどうかまるで分からない。



孫晧が孫和の嫡長子である」という歴史修正が加えられている可能性が高い。



陳寿三国志』がそういう作りなのは、十中八九『三国志』の底本となっているらしい韋昭らの『呉書』でそうなっていたからだろう。



このあたりは韋昭はかなり孫晧の意向に沿って事実を歪曲していたんじゃないかと思う。



孫晧からすれば韋昭は自分の意向をかなり受け入れる従順な史家だったのだろう。それなのに瑞祥や例の本紀の件になったら急に逆らってきたという感じなのだと思う。だから余計に許せないのだ。



いっそ韋昭が孫晧に最初から逆らい続けていたら、重用はしなかっただろうが殺しもしなかったんじゃないか、と思えてならない。



「裏切者」だから韋昭は厳しい処分を受けたのではないか。