童子郎

(臧)洪年十五、以父功拝童子郎、知名太學。
(『後漢書』列伝第四十八、臧洪伝)


後漢の郎官には「童子郎」と呼ばれる少年の郎がいたそうな。


臧洪の場合は父(臧旻)の功績で郎になれたようだが、「太学で名を知られた」ということは童子郎になると共に専門的な教育を受けられたのかもしれない。



「(袁)紹少為郎」(『後漢書袁紹伝)とされる袁紹も、もしかして同様の「親族の功績のおかげで拝命した童子郎」だったのでは・・・?