人材登用

侯霸字君房、河南密人也。族父淵、以宦者有才辯、任職元帝時、佐石顯等領中書、號曰大常侍。成帝時、任霸為太子舍人。
(『後漢書』列伝第十六、侯覇伝)

へえ、後漢初期の侯覇の族父の侯淵は元帝の時の宦官、石顕の部下だったのか。



『急就』を著したという史游と同じような立場だったんだな。



司馬遷がそうだったと思われるように、武帝後半期以降は有能な罪人を積極的に宦官にしていて人材が豊富だったのかもしれないな。