造義侯

萬脩字君游、扶風茂陵人也。更始時、為信都令、與太守任光・都尉李忠共城守、迎世祖、拝為偏將軍、封造義侯。及破邯鄲、拝右將軍、從平河北。建武二年、更封槐里侯。
(『後漢書』列伝第十一、万修伝)

後漢最初期の将だった万修なる人物は、最初に「造義侯」に封建されたという。



通常、列侯は「地名+侯」だが、「造義」という地名は見かけない。それにいかにもという感じの名なので、これは「嘉名+侯」という名号だけで実態の無い侯位なのではないだろうか。



あるいは、この時の侯は王莽の時代の制度を準用したものかもしれない。