元年四月乙巳、侯富元年。
三年、侯富以兄子戎為楚王反、富與家屬至長安北闕自歸、不能相教、上印綬。詔復王。後以平陸侯為楚王、更封富為紅侯。
(『史記』巻十九、恵景間侯者年表、休侯劉富)
休侯劉富は甥の楚王(劉戊)が反乱したときにみずから印綬を返上したらしい。
親族として止められなかった責任を取る、といったところか。
兄弟はそういったことをした形跡がないので、劉富のこの行動は少々スタンドプレー気味な気もする。
どことなく、錬金術を皇帝に言上して逆に罰を受けた劉向や、古文学を学官に入れようとして儒者たちに恨まれた劉歆といった子孫たちと共通点があるような気もしないでもない。