愛妾の実家

九州春秋曰、司隸馮方女、國色也、避亂揚州、(袁)術登城見而悦之、遂納焉、甚愛幸。諸婦害其寵、語之曰「將軍貴人有志節、當時時涕泣憂愁、必長見敬重。」馮氏以為然、後見術輒垂涕、術以有心志、益哀之。諸婦人因共絞殺、懸之廁梁、術誠以為不得志而死、乃厚加殯斂。
(『三国志』巻六、袁術伝注引『九州春秋』)

(桓)彬少與蔡邕齊名。初舉孝廉、拝尚書郎。時中常侍曹節女壻馮方亦為郎、彬厲志操、與左丞劉歆・右丞杜希同好交善、未嘗與方共酒食之會、方深怨之、遂章言彬等為酒黨。
(『後漢書』列伝第二十七、桓榮伝)

時太尉張顥・司徒樊陵・大鴻臚郭防・太僕曹陵・大司農馮方並與宦豎相姻私、公行貨賂、並奏罷黜之、不納。
(『後漢書』列伝第五十七、羊陟伝)

袁術の愛妾になったらしい馮氏の父は馮方といい、後漢の馮方というと「宦官の娘婿」で「賄賂を横行させていた」人物だったとされているのか。



袁術の側室馮氏の祖父は宦官(曹節)かもしれないな。





もしかして前から袁氏とこの馮氏は付き合いがあったのかな?



ただ見た目だけで選んだというより、元よりある程度の付き合いがあったからこういう関係になったのでは・・・?