今年の記事を振り返る

今年も終わり。まあ正直このブログ的には少々パッとしない1年だったと思うが、来年は本気出すためにも、一応今年1年を振り返り、個人的に印象に残った記事を紹介しておこうと思う。



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まずは曹操の命令の支離滅裂さ、行き当たりばったり感が凝縮された「建安十五年十二月己亥令」の記事。


こんな感じでも最大勢力になれるんだから、戦争については本当に優れていたんだろうな、と思わせる。



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今のところ某ペディアさんが孫晧の王をみんな孫晧の子とみなしてるっぽいのに違和感を覚えて作った記事、だったと思う。


劉邦曹丕も息子だけではなく弟とかを封建対象にしているので、孫晧も同様だったのではないか。



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自分を周の文王になぞらえたら、息子は武王として新たな王朝を開くという意味になるだけでなく、「前の王朝の天子は放伐しよう」の意味も持ちうるんじゃないか、という話。


自分を周の文王と言うことで、自分の時の王朝交代を否定する一方で、周の武王がしたような「次の代における武力交代を指示した」ことになるのではないか。少なくとも、このあたりの知識がある者の何割かはそう解釈するのではないだろうか。



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劉備は小粋な下ネタを披露していたんじゃないか、という話。



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あの魏諷事件は曹丕にとって失態扱いであり、曹操をはじめとする曹植派の方々はこれを好機としていたんじゃないか、という話。まあ憶測ではあるが、急激に曹植周辺がキナ臭くなる要因だった可能性はけっこうあるんじゃないだろうか。



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曹操張繍戦は、実はいろいろなものが懸かっていた重要な戦いだったんじゃないか、という話。これに自業自得な大敗を喫する、それでいてそれなりに立て直す、というのが彼らしさなのだろう。



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いつの日か黄祖が脱獄王と呼ばれるようになる日が来ると信じて―――!