『後漢書』孝献帝紀を読んでみよう:その7

その6(https://t-s.hatenablog.com/entry/2019/05/10/000100)の続き。





二年春正月辛丑、大赦天下。
二月丁丑、董卓自為太師。
袁術遣將孫堅董卓胡軫戰於陽人、軫軍大敗。
董卓遂發掘洛陽諸帝陵。
夏四月、董卓長安
六月丙戌、地震
(『後漢書』紀第九、孝献帝紀)

初平2年(前半)。


(董)卓諷朝廷使光祿勳宣璠持節拜卓為太師、位在諸侯王上。
(『後漢書』列伝第六十二、董卓伝)

董卓は相国から太師になった。


太師は前漢末に皇帝を指導・補佐する「四輔」の筆頭とされ、かつての周王朝ではあの太公望が就いたと言われていたりする。


今までなかったような大変高貴な官に就くというのは、前には王莽(宰衡・安漢公)、後には曹操曹丕(丞相・魏王)といった事例に似ている、気がする。



又使呂布發諸帝陵及公卿已下冢墓、收其珍寶。
(『後漢書』列伝第六十二、董卓伝)


董卓の皇帝陵暴きはあの呂布が実行犯とのこと。