その6(https://t-s.hatenablog.com/entry/2019/05/10/000100)の続き。
二年春正月辛丑、大赦天下。
二月丁丑、董卓自為太師。
袁術遣將孫堅與董卓將胡軫戰於陽人、軫軍大敗。
董卓遂發掘洛陽諸帝陵。
夏四月、董卓入長安。
六月丙戌、地震。
(『後漢書』紀第九、孝献帝紀)
初平2年(前半)。
董卓は相国から太師になった。
太師は前漢末に皇帝を指導・補佐する「四輔」の筆頭とされ、かつての周王朝ではあの太公望が就いたと言われていたりする。
今までなかったような大変高貴な官に就くというのは、前には王莽(宰衡・安漢公)、後には曹操・曹丕(丞相・魏王)といった事例に似ている、気がする。