『後漢書』孝献帝紀を読んでみよう:その43

その42(https://t-s.hatenablog.com/entry/2019/06/19/000100)の続き。





二十五年春正月庚子、魏王曹操薨。子丕襲位。
二月丁未朔、日有食之。
(『後漢書』紀第九、孝献帝紀)

建安25年。



曹操死亡。


二十五年春正月、至洛陽。(孫)權撃斬(関)羽、傳其首。
庚子、王崩于洛陽、年六十六。
遺令曰「天下尚未安定、未得遵古也。葬畢、皆除服。其將兵屯戍者、皆不得離屯部。有司各率乃職。斂以時服、無藏金玉珍寶。」諡曰武王。
二月丁卯、葬高陵。
(『三国志』巻一、武帝紀)


曹操関羽の首級を洛陽で受け取り、ほどなくして死んだという感じだろうか。



魏王の太子となっていた曹丕が魏王となり、丞相の地位も継いだ。


爵位と領土はともかく官位までそのまま横滑りするのは漢王朝の本来の在り方からすればおかしな話であるが、もうその辺に文句を付けるような者は当時の朝廷にはいないだろう。



この建安25年はこの月で終わるが、孝献帝紀としてはまだもうちっとだけ続くんじゃ。