グッド・バイ

宋弘字仲子、京兆長安人也。父尚、成帝時至少府。哀帝立、以不附董賢、違忤抵罪。弘少而温順、哀平閒作侍中、王莽時為共工。赤眉入長安、遣使徴弘、逼迫不得已、行至渭橋、自投於水、家人救得出、因佯死獲免。
(『後漢書』列伝第十六、宋弘伝)

前漢末から後漢初の人宋弘(後漢初期の三公)は、赤眉が長安にやって来た時、赤眉に呼び出されると入水してグッド・バイを図り、そのまま死を装って逃げおおせた、という。



なぜ宋弘は赤眉をそこまで恐れたのか。



(息夫)躬・(孫)寵乃與中郎右師譚、共因中常侍宋弘上變事告焉。
(『漢書』巻四十五、息夫躬伝)

乃遣并州牧宋弘・游撃都尉任萌等將兵撃匈奴、至邊止屯。
(『漢書』巻九十九中、王莽伝中、天鳳三年五月)


どうやら、宋弘というのは哀帝の頃に侍中・中常侍(当時は宦官以外も就任していた)、その後は并州牧や九卿と、長く政権の中枢、要職にいた人物らしい。



しかも王莽政権の元での大臣である。




もしかすると、宋弘は王莽を打倒した赤眉によって「王莽の忠実な協力者」として政治責任を問われて殺される、といった恐れを抱いていたのでは・・・?