『後漢書』孝献帝紀を読んでみよう:その10

その9(https://t-s.hatenablog.com/entry/2019/05/13/000100)の続き。





夏四月辛巳、誅董卓、夷三族。
司徒王允尚書事、總朝政、遣使者張种撫慰山東
青州黄巾撃殺兗州刺史劉岱於東平。東郡太守曹操大破黄巾於壽張、降之。
五月丁酉、大赦天下。
丁未、征西將軍皇甫嵩為車騎將軍。
董卓部曲將李傕・郭汜・樊稠・張濟等反、攻京師。
六月戊午、陷長安城、太常种拂・太僕魯旭・大鴻臚周奐・城門校尉崔烈・越騎校尉王頎並戰歿、吏民死者萬餘人。李傕等並自為將軍。
己未、大赦天下。
李傕殺司隸校尉黄琬。
甲子、殺司徒王允、皆滅其族。
丙子、前將軍趙謙為司徒。
(『後漢書』紀第九、孝献帝紀)

初平3年(6月まで)。



董卓、死ぬ。有名なので詳しくは書かなくてもいいだろう。



そして董卓亡きあと、その部下李傕・郭汜たちが反旗を翻し、董卓を倒した側である王允呂布は敗れる。



その一方、兗州では青州黄巾がまた攻めてきた。風俗通先生と公孫瓚に追い払われて行き場を無くしてさまよっていた感がある。


青州黄巾衆百萬入兗州、殺任城相鄭遂、轉入東平。劉岱欲撃之、鮑信諫曰「今賊衆百萬、百姓皆震恐、士卒無鬭志、不可敵也。觀賊衆群輩相隨、軍無輜重、唯以鈔略為資、今不若畜士衆之力、先為固守。彼欲戰不得、攻又不能、其勢必離散、後選精鋭、據其要害、撃之可破也。」岱不從、遂與戰、果為所殺。
信乃與州吏萬潛等至東郡迎太祖領兗州牧。遂進兵撃黄巾于壽張東。信力戰鬭死、僅而破之。購求信喪不得、衆乃刻木如信形状、祭而哭焉。追黄巾至濟北、乞降。冬、受降卒三十餘萬、男女百餘萬口、收其精鋭者、號為青州兵。
(『三国志』巻一、武帝紀)


兗州の太守が青州黄巾30万の兵と戦う・・・?どこかで聞いた話のような・・・。



風俗通先生の時の30万の黄巾も、非戦闘員を合わせたら100万だったんだろうか?それとも1年もしないうちに3倍以上に膨れ上がったのだろうか?


まあとにかく、あの曹操董卓が蝋燭にされて長安が火の海になっている裏で兗州牧になったのであった。