『三国志』武帝紀を読んでみよう:その6

その5(https://t-s.hatenablog.com/entry/2019/12/05/000100)の続き。





二年春、(袁)紹・(韓)馥遂立(劉)虞為帝、虞終不敢當。
夏四月、(董)卓還長安
秋七月、袁紹脅韓馥、取冀州
黑山賊于毒・白繞・眭固等十餘萬衆略魏郡・東郡、王肱不能禦、太祖引兵入東郡、撃白繞于濮陽、破之。袁紹因表太祖為東郡太守、治東武陽。
(『三国志』巻一、武帝紀)

初平2年。袁紹は韓馥から冀州の支配権を奪い、黒山賊が動き出して魏武が兗州に進出して撃退する。



この時期の魏武の兵力からすれば黒山賊を退けたのは快挙なのだろう。魏武も太守とされ(正式な就任とは言い難いが)、これでやっと他の諸将と肩を並べることができた。



ただ、前回正論を述べて対董卓戦を説いた魏武も、結局はそれどころではなくなるのであった。




ちなみにこの年の冬、公孫瓚は黄巾賊を撃退し、その後公孫瓚袁紹が激突している。