太子孫登の時は、孫慮を敢えて諸侯王にせず、それでいて開府は許している。
なんとなく、孫登さんサイドに「いつでもチェンジできるんだぞ」と言っているようにも見える。
太子孫和の時は、孫覇を諸侯王にするが、他には王を立てず、また孫覇の格式をできるだけ太子に並ぶようにしており、これはこれで孫和さんサイドに「いつでもチェンジできるんだぞ」と言っているようにも見える。
太子孫亮の時は、孫権死去の直前であるが、当時いた他の3皇子を諸侯王としており、これは逆に「もう孫亮で完全決定なんだぞ」と世間に対して言っているようにも見える。
孫権の諸侯王問題は、皇太子問題と直結しているのだろう。多分。