孫登と孫和の違い3

孫権の後継者としての孫登と孫和は、後宮一大勢力と言える歩氏一党(特に孫魯班)との距離に大きな違いがあったのだと思う。



先日書いたように、孫登ならまだ多少なりとも歩氏側にもメリットがあり、そこに妥協点が見いだせる可能性があった。




しかし、孫和にはそういったものが無いので、歩氏側が今後も勢力を維持拡大しようと思うなら、孫和排除は必須だった。



そのためにかの二宮問題のような先鋭化した後継者問題が起こった、のではないか。




こうやって考えてみると、勢力間の均衡といった要素を気にせず(あるいは意図的に破壊しようとして)孫和を強く推薦した先代皇太子は、結構罪深いのではなかろうか・・・?