曹彰の後継ぎと曹植の後継ぎ

(曹)楷、泰始初為崇化少府、見百官名
(『三国志』巻十九、任城威王彰伝注)

(曹)志別傳曰、志字允恭、好學有才行。晉武帝為中撫軍、迎常道郷公于鄴、志夜與帝相見、帝與語、從暮至旦、甚器之。及受禪、改封鄄城公。發詔以志為樂平太守、歴章武・趙郡、遷散騎常侍・國子博士、後轉博士祭酒。
(『三国志』巻十九、陳思王植伝注引『曹志別伝』)


魏の曹彰の子で王を継いだ曹楷、曹植の子で王を継いだ曹志、どちらも晋で官位に就いたことが確認できるんだな。



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魏は漢の劉氏を「禁錮」(官位に就けさせない)に処していたらしいことを考えると、晋は魏の曹氏に対して比較的優しい、と言えるのだろう。



特に曹楷は皇帝となった斉王芳の実父とも言われていることを思えば、まあまあ寛大である。



あるいは、魏の皇帝曹丕の同母弟という、魏においては皇帝の次に貴種と言える皇族も晋に従っているのだ、という政治的アピールもあったのかもしれないけれど。